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クハ201-115(八トタH5編成)【編成消滅】

【この編成は消滅しています】中央線快速電車向け201系0番台分割編成の八トタH5編成

編成番号変遷

  • 東ムコH7編成(1987年4月1日~1997年)
  • 東ムコH14編成(1997年~1998年3月31日)
  • 八ムコH14編成(1998年4月1日~2004年3月12日)
  • 八トタH14編成(2004年3月13日~2007年3月)
  • 八トタH5編成(2007年3月~2008年6月6日)

2008年6月6日時点の編成

1号車 クハ201-115 1984年2月9日新製(川重)
2号車 モハ201-231 1984年2月9日新製(川重)
3号車 モハ200-231 1984年2月9日新製(川重)
4号車 モハ201-232 1984年2月9日新製(川重)
5号車 モハ200-232 1984年2月9日新製(川重)
6号車 クハ200-115 1984年2月9日新製(川重)
7号車 クハ201-116 1984年2月9日新製(川重)
8号車 モハ201-233 1984年2月9日新製(川重)
9号車 モハ200-233 1984年2月9日新製(川重)
10号車 クハ200-116 1984年2月9日新製(川重)

編成の情報

この編成は、中央線快速電車向けの4両+6両分割編成として、1982年から1984年に武蔵小金井電車区に配置された22編成の201系のうちの1本である。クハ201-115以下4連が付属編成、クハ201-116以下6連が基本編成である。基本編成は1997年10月12日に大月駅構内で発生した列車衝突事故の当該編成であり、先頭車両だったクハ200-116は特に損傷が大きかった。このため、三鷹電車区の保留車(東中野事故の生き残り)であるクハ201-3を方転の上でクハ200-116の代替とする案も一時は取り沙汰されたが、1998年6月に事故後留置されていた大月駅構内から大井工場へ移動して事故復旧が実施され、同年9月に運用復帰した。2004年3月13日ダイヤ改正武蔵小金井電車区は車両無配置化されたため豊田電車区に転属した。2007年3月18日ダイヤ改正では、E233系0番台の導入に伴って分割編成の組成が変更されることとなり、従来は東京方が付属編成(4両編成)であったところ、ダイヤ改正以降は東京方が基本編成(6両編成)になったため、この編成もE233系同様の組成になるよう、モハ201/200-232を旧基本編成側から旧付属編成側に組み替えた。2008年にE233系0番台の八トタH58編成に置き換えられて廃車となった。

編成の記録

過去の編成表

2007年3月18日ダイヤ改正
1号車 クハ201-115 1984年2月9日新製(川重)
2号車 モハ201-231 1984年2月9日新製(川重)
3号車 モハ200-231 1984年2月9日新製(川重)
4号車 クハ200-115 1984年2月9日新製(川重)
5号車 クハ201-116 1984年2月9日新製(川重)
6号車 モハ201-232 1984年2月9日新製(川重)
7号車 モハ200-232 1984年2月9日新製(川重)
8号車 モハ201-233 1984年2月9日新製(川重)
9号車 モハ200-233 1984年2月9日新製(川重)
10号車 クハ200-116 1984年2月9日新製(川重)

編集履歴(記事ID:0166)

  • 2020年4月11日:資料室掲載記事リニューアル作業実施

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