【この編成は消滅しています】中央線快速電車向け201系0番台貫通編成の八トタT101編成
編成番号変遷
- 東トタE22編成(1987年4月1日~1988年)
- 東トタT1編成(1988年~1998年3月31日)
- 八トタT1編成(1998年4月1日~2006年11月17日)
- 八トタT101編成(2006年11月17日~2007年10月5日)
2007年10月5日時点の編成
1号車 | クハ201-13 | 1981年9月22日新製(日車) |
2号車 | モハ201-19 | 1981年9月22日新製(日車) |
3号車 | モハ200-19 | 1981年9月22日新製(日車) |
4号車 | サハ201-1 | 1981年10月29日新製(東急) |
5号車 | モハ201-20 | 1981年9月22日新製(日車) |
6号車 | モハ200-20 | 1981年9月22日新製(日車) |
7号車 | サハ201-2 | 1981年10月29日新製(東急) |
8号車 | モハ201-21 | 1981年9月22日新製(日車) |
9号車 | モハ200-21 | 1981年9月22日新製(日車) |
10号車 | クハ200-13 | 1981年9月22日新製(日車) |
編成の情報
クハ201-13以下6連は、新製当初はクハ201-12以下4連と連結した4両+6両編成の基本編成であり、新製当初は三鷹電車区に中央線快速電車用として配置された。1982年以降は三鷹電車区所属の201系を10両貫通編成化することになったため、クハ201-57以下10連の落成を待って武蔵小金井電車区に転属した。1986年3月3日ダイヤ改正では中央線系統で大幅な運用見直しがあり、これで捻出された10両編成2本(10両貫通編成1本、4両+6両分割編成1本)を組み替えて6両編成3本を組成し、青梅・五日市・武蔵野線向けに転用することになった。そして、この編成がその組み換え対象に選ばれたため、ダイヤ改正当日に武蔵小金井電車区から豊田電車区へ転属した。基本編成は元々6両であったことから車両の組み換えは実施せず、付属編成だったクハ201-12以下4連から切り離され単独で運用されるようになった。
1988年12月1日ダイヤ改正では、中央線快速電車で増発を実施することになったことから、それに対応するため豊田電車区所属の編成を増やすことになった。これに伴って、この編成は同区所属のバラ予備車だったモハ201/200-263とサハ201-1・2を組み込んで10両貫通編成化した上で、中央線快速電車に転用された。なお、青梅・五日市・武蔵野線の運用は、他線区から103系を転用することで補填された。1990年代に、モハ201-263・20・21のパンタグラフを全てシングルアーム式のものに交換している。2001年に、武蔵小金井電車区から元・八ムコH26編成→八トタW1編成が豊田電車区に転属すると、経年や搭載している機器の都合から電動車の交換が実施されることになり、この編成のモハ201/200-263と、モハ201/200-19が差し替えられた。このモハ201/200-19は菱形パンタグラフを搭載しており、パンタグラフの換装を実施しなかったことから、これ以降の八トタT1編成は編成中に2種類のパンタグラフが混在する状態となった。2007年にE233系0番台の八トタT30編成に置き換えられて廃車となった。
編成の記録
- 【組換】1986年(昭和61年)3月3日:6両編成で豊田電車区に配置された。
- 【民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
- 【組換】1988年(昭和63年)XX月XX日:モハ201/200-263、サハ201-1・2を組み込んで10両編成を組成した。
- 【組換】2001年(平成13年)1月XX日:モハ201/200-263を八トタW1編成のモハ201/200-19と交換した。
- 【廃車】2007年(平成19年)10月5日:除籍。
過去の編成表
青梅・五日市・武蔵野線時代
1号車 | クハ201-13 | 1981年9月22日新製(日車) |
2号車 | モハ201-20 | 1981年9月22日新製(日車) |
3号車 | モハ200-20 | 1981年9月22日新製(日車) |
4号車 | モハ201-21 | 1981年9月22日新製(日車) |
5号車 | モハ200-21 | 1981年9月22日新製(日車) |
6号車 | クハ200-13 | 1981年9月22日新製(日車) |
編集履歴(記事ID:0062)
- 2020年4月3日:資料室掲載記事リニューアル作業実施