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クハ201-134(八トタW1編成)【編成消滅】

【この編成は消滅しています】青梅・五日市線向け201系0番台展望用改造編成の八トタW1編成「四季彩」

編成番号変遷

  • 東トタT15編成(1987年4月1日~1988年)
  • 東トタ(1988年~1996年11月12日)
  • 東ムコH21編成(1996年11月12日~1997年)
  • 東ムコH26編成(1997年~1998年3月31日)
  • 八ムコH26編成(1998年4月1日~2001年1月13日)
  • 八トタW1編成(2001年1月13日~2009年7月24日)

2009年7月24日時点の編成

1号車 クハ201-134 1984年10月18日新製(近車)
2号車 モハ201-263 1984年10月18日新製(近車)
3号車 モハ200-263 1984年10月18日新製(近車)
4号車 クハ200-134 1984年10月18日新製(近車)

編成の情報

この編成は、中央線快速電車向けとして1984年に落成した201系電車である。中央線向けの201系は10両貫通編成か4両+6両分割編成で導入されることになっていたが、この編成は中央線向けの最後の編成であることから、予備車の確保を目的に付属編成(4両編成)単体で落成した。クハ201-135以降は軽装車としての製造になったため、通常仕様車として最後に落成した編成である。落成当初は武蔵小金井電車区に所属していたが、1986年3月3日ダイヤ改正から豊田電車区に転属した。豊田電車区には4両編成の201系の運用はなく、バラ予備車として扱われていた。1988年12月1日ダイヤ改正で、青梅・五日市・武蔵野線向けの6両編成だったクハ201-13以下6連を中央線快速電車向けの10両貫通編成へ転用する際に、モハ201/200-263が供出された。1996年12月1日ダイヤ改正で、武蔵野線の完全8両編成化に伴って青梅・五日市・武蔵野線で運用されていた201系6両編成2本が運用離脱し、三鷹電車区中央・総武線用として転属するに当たってモハ201/200-19が余剰になったことから、この2両を組み込んで4両編成を組成し、武蔵小金井電車区に付属編成単独で転属した。2001年に、豊田電車区に所属していた103系訓練車が廃車になることから、その後継の訓練車とするため同電車区に転属した。転属に合わせて、モハ201/200-19を八トタT1編成のモハ201/200-263と交換し、新製当初の組成に戻された(モハ201/200-19は初期車、モハ201/200-263は改良型の機器を搭載した後期車であり、モハ201/200-20・21を組み込んでいる八トタT1編成内で電動車を初期車に統一する意図があったとみられる)。青梅線五日市線で展望型電車の運用を開始するに当たってその改造種車に選ばれ、同年7月に大井工場で改造、11月に「四季彩」の愛称が与えられた。編成番号上の区分は訓練車を意味するW編成のままであったが、土休日限定で定期運用も存在していた。2009年に廃車となった。

編成の記録

  • 新製1984年(昭和59年)10月18日:入籍。新製配置は武蔵小金井電車区
  • 転属】1986年(昭和61年)3月3日:豊田電車区に転属した。
  • 民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
  • 転属】1996年(平成8年)11月12日:モハ201/200-19を組み込んだ4両編成で武蔵小金井電車区に転属した。
  • 転属】2001年(平成13年)1月13日:豊田電車区に転属した。同時に、モハ201/200-19をモハ201/200-263と組み換えた。
  • 所属変更】2007年(平成19年)11月25日:豊田電車区の改組に伴い豊田車両センター所属になる。
  • 廃車】2009年(平成21年)7月24日:除籍。

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過去の編成表

中央線時代(八ムコH26編成)
1号車 クハ201-134 1984年10月18日新製(近車)
2号車 モハ201-19 1981年9月22日新製(日車)
3号車 モハ200-19 1981年9月22日新製(日車)
4号車 クハ200-134 1984年10月18日新製(近車)

編集履歴(記事ID:0186)

  • 2020年4月11日:資料室掲載記事リニューアル作業実施

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