【この編成は消滅しています】青梅・五日市線向け201系0番台6両編成の八トタ青60編成
編成番号変遷
- 東ミツ3編成(1987年4月1日~1993年)
- 東ミツ2編成(1993年~1998年3月31日)
- 八ミツ2編成(1998年4月1日~2001年9月7日)
- 八トタ青81編成(2001年9月7日~2001年11月30日)
- 八トタ青60編成(2001年12月1日~2008年3月31日)
2008年3月31日時点の編成
1号車 | クハ201-16 | 1981年10月22日新製(近車) |
2号車 | モハ201-25 | 1981年10月22日新製(近車) |
3号車 | モハ200-25 | 1981年10月22日新製(近車) |
4号車 | モハ201-26 | 1981年10月22日新製(近車) |
5号車 | モハ200-26 | 1981年10月22日新製(近車) |
6号車 | クハ200-16 | 1981年10月22日新製(近車) |
編成の情報
この編成は、中央線快速電車向けの4両+6両分割編成として、1981年に三鷹電車区に配置された8編成の201系のうちの1本である。クハ201-16以下4連が付属編成、クハ201-17以下6連が基本編成である。1982年以降は三鷹電車区所属の201系を10両貫通編成化することになったため、クハ201-59以下10連の落成を待って中野電車区に中央・総武線向けとして転属した。中央・総武緩行線では分割運用はないものの、中野電車区の検修設備の都合から10両貫通編成が配置できなかったため、4両+6両分割編成であるこの編成が、西カノ3編成として転属することになった。1986年3月3日ダイヤ改正で中野電車区が車両無配置化されたことに伴い、三鷹電車区に転属した。2001年に、E231系0番台の八ミツ33編成が導入されたことで置き換えられて、青梅線に転属した。転属に当たっては、基本編成から付属編成にモハ2両を組み替えて6両+4両の組成に変更した上で、4両編成になった旧基本編成側は八トタ青1編成(2001年12月1日以降)となった。2008年に、E233系0番台の導入に伴って置き換えられ、廃車となった。
編成の記録
- 【新製】1981年(昭和56年)10月22日:入籍。新製配置は三鷹電車区。
- 【転属】1982年(昭和57年)11月25日:中野電車区に転属した。
- 【転属】1986年(昭和61年)3月3日:中野電車区の車両無配置化に伴い三鷹電車区に転属した。
- 【民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
- 【改造】2001年(平成13年)9月7日:転用改造工事竣工(大宮工場)。10両全てが豊田電車区に配属されるが、クハ201-17以下4連については八トタ青1編成(2001年12月1日以降)として編成を分割した。
- 【所属変更】2007年(平成19年)11月25日:豊田電車区の改組に伴い豊田車両センター所属になる。
- 【廃車】2008年(平成20年)3月31日:除籍。
過去の編成表
中央・総武線時代(八ミツ2編成)
1号車 | クハ201-16 | 1981年10月22日新製(近車) |
2号車 | モハ201-25 | 1981年10月22日新製(近車) |
3号車 | モハ200-25 | 1981年10月22日新製(近車) |
4号車 | クハ200-16 | 1981年10月22日新製(近車) |
5号車 | クハ201-17 | 1981年10月22日新製(近車) |
6号車 | モハ201-26 | 1981年10月22日新製(近車) |
7号車 | モハ200-26 | 1981年10月22日新製(近車) |
8号車 | モハ201-27 | 1981年10月22日新製(近車) |
9号車 | モハ200-27 | 1981年10月22日新製(近車) |
10号車 | クハ200-17 | 1981年10月22日新製(近車) |
編集履歴(記事ID:0066)
- 2020年3月17日:資料室掲載記事リニューアル作業実施