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クハ201-7(千ケヨ71編成)【編成消滅】

【この編成は消滅しています】京葉線向け201系0番台非分割編成の千ケヨ71編成

編成番号変遷

  • 東ミツ4編成(1987年4月1日~1993年)
  • 東ミツ1編成(1993年~1998年3月31日)
  • 八ミツ1編成(1998年4月1日~2001年8月4日)
  • 千ケヨ71編成(2001年8月4日~2009年1月22日)

2009年1月22日時点の編成

10号車 クハ201-7 1981年8月27日新製(日車)
9号車 モハ201-10 1981年8月27日新製(日車)
8号車 モハ200-10 1981年8月27日新製(日車)
7号車 クハ200-7 1981年8月27日新製(日車)
6号車 クハ201-23 1982年3月24日新製(東急)
5号車 モハ201-11 1981年8月27日新製(日車)
4号車 モハ200-11 1981年8月27日新製(日車)
3号車 モハ201-12 1981年8月27日新製(日車)
2号車 モハ200-12 1981年8月27日新製(日車)
1号車 クハ200-23 1982年3月24日新製(東急)

編成の情報

この編成は、中央線快速電車向けの4両+6両分割編成として、1981年に三鷹電車区に配置された8編成の201系のうちの1本である。クハ201-7以下4連が付属編成、クハ201-8以下6連が基本編成である。1982年以降は三鷹電車区所属の201系を10両貫通編成化することになったため、クハ201-60以下10連の落成を待って中野電車区中央・総武線向けとして転属した。中央・総武緩行線では分割運用はないものの、中野電車区の検修設備の都合から10両貫通編成が配置できなかったため、4両+6両分割編成であるこの編成が、西カノ4編成として転属することになった。1986年3月3日ダイヤ改正で中野電車区が車両無配置化されたことに伴い、三鷹電車区に転属した。1988年に、ATS工事に関連してクハ201/200-8を武蔵小金井電車区所属(中央線快速電車向け)のクハ201/200-23と差し替えた。この車両には差し込み式ヘッドマークの撤去痕が最後まで残っていた。2001年に、E231系0番台の八ミツ32編成が導入されたことで置き換えられ、京葉線に転用された。京葉線には分割運用もあったが、この編成の転属時点で既に必要な数は揃っていたためクハ200-7・クハ201-23に分割対応改造は実施されず、貫通編成扱いで運用された。2009年に、209系500番台千ケヨ34編成に置き換えられて廃車となった。

編成の記録

  • 新製】1981年(昭和56年)8月27日:入籍。新製配置は三鷹電車区
  • 転属】1983年(昭和58年)1月8日:中野電車区に転属した。
  • 転属】1986年(昭和61年)3月3日:中野電車区の車両無配置化に伴い三鷹電車区に転属した。
  • 民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
  • 組換】1988年(昭和63年)4月20日:クハ201/200-8をクハ201/200-23と交換した。
  • 転出】1988年(昭和63年)4月21日:クハ201/200-8が武蔵小金井電車区に転出した。
  • 改造】2001年(平成13年)8月4日:転用改造工事竣工(大井工場)。京葉電車区に転属した。
  • 所属変更】2004年(平成16年)4月1日:京葉電車区の改組に伴い京葉車両センター所属になる。
  • 廃車】2009年(平成21年)1月22日:除籍。

過去の編成表

新製当初
1号車 クハ201-7 1981年8月27日新製(日車)
2号車 モハ201-10 1981年8月27日新製(日車)
3号車 モハ200-10 1981年8月27日新製(日車)
4号車 クハ200-7 1981年8月27日新製(日車)
5号車 クハ201-8 1981年8月27日新製(日車)
6号車 モハ201-11 1981年8月27日新製(日車)
7号車 モハ200-11 1981年8月27日新製(日車)
8号車 モハ201-12 1981年8月27日新製(日車)
9号車 モハ200-12 1981年8月27日新製(日車)
10号車 クハ200-8 1981年8月27日新製(日車)

編集履歴(記事ID:0055)

  • 2020年4月8日:資料室掲載記事リニューアル作業実施

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