【この編成は消滅しています】青梅・五日市線向け201系0番台6両編成の八トタ青62編成
編成番号変遷
- 東ミツ5編成(1987年4月1日~1998年3月31日)
- 八ミツ5編成(1998年4月1日~2000年12月1日)
- 八ミツ3編成(2000年12月2日~2001年7月19日)
- 八トタ青80編成(2001年7月19日~2001年11月30日)
- 八トタ青62編成(2001年12月1日~2008年3月31日)
2008年3月31日時点の編成
1号車 | クハ201-73 | 1983年1月18日新製(近車) |
2号車 | モハ201-164 | 1983年1月18日新製(近車) |
3号車 | モハ200-164 | 1983年1月18日新製(近車) |
4号車 | モハ201-165 | 1983年1月18日新製(近車) |
5号車 | モハ200-165 | 1983年1月18日新製(近車) |
6号車 | クハ200-73 | 1983年1月18日新製(近車) |
編成の情報
西カノ5編成は、中野電車区に配置されていた中央・総武緩行線向けの101系電車の置き換え用として1982年から1985年にかけて同電車区に配属された、22編成の201系のうちの1本である。中央・総武緩行線では分割運用はないものの、中野電車区の検修設備の都合から4両+6両分割編成として導入されることになり、クハ201-73以下4連とクハ201-74以下6連を連結して10両編成を組成した。1986年3月3日ダイヤ改正で中野電車区が車両無配置化されたことに伴い、三鷹電車区に転属した。1993年に、編成番号を旧中野電車区の配属順から車番順へ変更することになったが、偶然にも変更前後の番号が同じになっている。2001年に、E231系0番台の八ミツ31編成が導入されたことで置き換えられて、青梅線に転属した。転属に当たっては、基本編成から付属編成にモハ2両を組み替えて6両+4両の組成に変更した上で、4両編成になった旧基本編成側は八トタ青3編成(2001年12月1日以降)となった。2008年に、E233系0番台の導入に伴って置き換えられ、廃車となった。
編成の記録
- 【新製】1983年(昭和58年)1月18日:入籍。新製配置は中野電車区。
- 【転属】1986年(昭和61年)3月3日:中野電車区の車両無配置化に伴い三鷹電車区に転属した。
- 【民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
- 【改造】2001年(平成13年)7月19日:転用改造工事竣工(大井工場)。10両全てが豊田電車区に配属されるが、クハ201-74以下4連については八トタ青3編成(2001年12月1日以降)として編成を分割した。
- 【所属変更】2007年(平成19年)11月25日:豊田電車区の改組に伴い豊田車両センター所属になる。
- 【廃車】2008年(平成20年)3月31日:除籍。
過去の編成表
中央・総武線時代(八ミツ3編成)
1号車 | クハ201-73 | 1983年1月18日新製(近車) |
2号車 | モハ201-164 | 1983年1月18日新製(近車) |
3号車 | モハ200-164 | 1983年1月18日新製(近車) |
4号車 | クハ200-73 | 1983年1月18日新製(近車) |
5号車 | クハ201-74 | 1983年1月18日新製(近車) |
6号車 | モハ201-165 | 1983年1月18日新製(近車) |
7号車 | モハ200-165 | 1983年1月18日新製(近車) |
8号車 | モハ201-166 | 1983年1月18日新製(近車) |
9号車 | モハ200-166 | 1983年1月18日新製(近車) |
10号車 | クハ200-74 | 1983年1月18日新製(近車) |
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- 2020年3月15日:資料室掲載記事リニューアル作業実施