【この編成は消滅しています】青梅・五日市線向け201系0番台6両編成の八トタ青64編成
編成番号変遷
- 東ミツ8編成(1987年4月1日~1993年)
- 東ミツ7編成(1993年~1998年3月31日)
- 八ミツ7編成(1998年4月1日~2000年12月1日)
- 八ミツ5編成(2000年12月2日~2001年11月30日)
- 八トタ(2001年11月30日~2001年11月30日)
- 八トタ青64編成(2001年12月1日~2008年4月18日)
2008年4月18日時点の編成
1号車 | クハ201-79 | 1983年5月17日新製(川重) |
2号車 | モハ201-174 | 1983年5月17日新製(川重) |
3号車 | モハ200-174 | 1983年5月17日新製(川重) |
4号車 | モハ201-175 | 1983年5月17日新製(川重) |
5号車 | モハ200-175 | 1983年5月17日新製(川重) |
6号車 | クハ200-79 | 1983年5月17日新製(川重) |
編成の情報
西カノ8編成は、中野電車区に配置されていた中央・総武緩行線向けの101系電車の置き換え用として1982年から1985年にかけて同電車区に配属された、22編成の201系のうちの1本である。中央・総武緩行線では分割運用はないものの、中野電車区の検修設備の都合から4両+6両分割編成として導入されることになり、クハ201-79以下4連とクハ201-80以下6連を連結して10両編成を組成した。1986年3月3日ダイヤ改正で中野電車区が車両無配置化されたことに伴い、三鷹電車区に転属した。2001年に、E231系0番台の八ミツ39編成が導入されたことで置き換えられて、青梅線に転属した。転属に当たっては、基本編成から付属編成にモハ2両を組み替えて6両+4両の組成に変更した上で、4両編成になった旧基本編成側は八トタ青4編成(2001年12月1日以降)となった。2008年に、E233系0番台の導入に伴って置き換えられ、廃車となった。
編成の記録
- 【新製】1983年(昭和58年)5月17日:入籍。新製配置は中野電車区。
- 【転属】1986年(昭和61年)3月3日:中野電車区の車両無配置化に伴い三鷹電車区に転属した。
- 【民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
- 【改造】2001年(平成13年)11月30日:転用改造工事竣工(大宮工場)。10両全てが豊田電車区に配属されるが、クハ201-80以下4連については八トタ青4編成(2001年12月1日以降)として編成を分割した。
- 【所属変更】2007年(平成19年)11月25日:豊田電車区の改組に伴い豊田車両センター所属になる。
- 【廃車】2008年(平成20年)4月18日:除籍。
過去の編成表
中央・総武線時代(八ミツ5編成)
1号車 | クハ201-79 | 1983年5月17日新製(川重) |
2号車 | モハ201-174 | 1983年5月17日新製(川重) |
3号車 | モハ200-174 | 1983年5月17日新製(川重) |
4号車 | クハ200-79 | 1983年5月17日新製(川重) |
5号車 | クハ201-80 | 1983年5月17日新製(川重) |
6号車 | モハ201-175 | 1983年5月17日新製(川重) |
7号車 | モハ200-175 | 1983年5月17日新製(川重) |
8号車 | モハ201-176 | 1983年5月17日新製(川重) |
9号車 | モハ200-176 | 1983年5月17日新製(川重) |
10号車 | クハ200-80 | 1983年5月17日新製(川重) |
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- 2020年3月15日:資料室掲載記事リニューアル作業実施