【この編成は消滅しています】埼京・川越線向け205系0番台6扉車非組込編成の宮ハエ29編成
編成番号変遷
- 東ヤテ41編成(1987年12月1日~1990年5月22日)
- 東ハエ30編成(1990年5月22日~1990年8月31日)
- 東ハエ7編成(1990年9月1日~1996年11月30日)
- 東ハエ29編成(1996年12月1日~2001年3月31日)
- 宮ハエ29編成(2001年4月1日~2014年1月17日)
2013年1月1日時点の編成
10号車 | クハ205-41 | 1987年12月1日新製(日立) |
9号車 | モハ205-121 | 1987年12月1日新製(日立) |
8号車 | モハ204-121 | 1987年12月1日新製(日立) |
7号車 | サハ205-81 | 1987年12月1日新製(日立) |
6号車 | モハ205-122 | 1987年12月1日新製(日立) |
5号車 | モハ204-122 | 1987年12月1日新製(日立) |
4号車 | サハ205-82 | 1987年12月1日新製(日立) |
3号車 | モハ205-123 | 1987年12月1日新製(日立) |
2号車 | モハ204-123 | 1987年12月1日新製(日立) |
1号車 | クハ204-41 | 1987年12月1日新製(日立) |
編成の情報
東ヤテ41編成は、JR東日本が旧国鉄から継承した山手線向けの103系電車を置き換えるために導入した20編成のうちの1本である。民営化後最初に落成した205系である。1988年12月5日に中央緩行線東中野駅で発生した事故の影響により、埼京線向けに製造が進んでいた205系が同線へ急遽配置されることになり、埼京線の205系が不足することになったため、山手線の予備車を削減する形で1990年に埼京線に転用された。編成番号も中央・総武線配置になった編成に割り当てられるはずであった「7」になったが、1996年12月4日にその編成が埼京線所属になったため、編成番号は「29」に変更された。山手線からは6扉車導入前に撤退、埼京線でも全編成への組み込みは実施されなかったため、新製当初から引退まで一度も組み換えを実施せず10両編成を維持した数少ない編成の1本である(ほかに宮ハエ27編成・28編成も該当する)。E233系7000番台に置き換えられる形で2014年に廃車となったが、長野配給時に川越線内の有効長の関係でサハ205-82だけは配給が後回しになったまましばらく放置され、同車両は2015年に南武線の横ナハ5編成の先頭車に挟まれて長野へ配給された。
編成の記録
- 【新製】1987年(昭和62年)12月1日:入籍。新製配置は山手電車区。
- 【改造】1990年(平成2年)5月22日:転用改造工事竣工。全車両が川越電車区に転属した。
- 【所属変更】2004年(平成16年)6月1日:川越電車区の改組に伴い川越車両センター所属になる。
- 【配給】2014年(平成26年)1月16日:サハ205-82を除く9両のみ、南古谷駅→北長野駅
- 【廃車】2014年(平成26年)1月17日:サハ205-82を除く9両が除籍。
- 【配給】2015年(平成27年)2月12日:サハ205-82のみ、大宮駅→北長野駅
- 【廃車】2015年(平成27年)2月13日:サハ205-82が除籍。
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- 2020年1月17日:資料室掲載記事リニューアル作業実施