新東京周辺鉄道車両速報ブログ資料室

2020年4月22日正式オープン!

仙石線 目次

路線の説明

仙石線宮城県仙台市石巻市を結ぶ路線であり、元は私鉄の宮城電気鉄道の路線であったものを1944年(昭和19年)に戦時買収した路線である。建設の経緯もあり開業当初から全線が直流電化されており、戦後東北地方の国鉄線が電化される際には交流電化方式が採用されたため、仙石線は東北地方の国鉄線で唯一の直流電化路線となった。このため、仙石線で運用される電車は主に首都圏の中古車両で賄われていた。新車の導入が行われる首都圏と旧型国電の運用が続く仙石線では格差が見られたことから、1974年(昭和49年)には72系電車の車体を103系同等のものに載せ替えたアコモ改良車を導入してサービスの改善を図ったが、1979年(昭和54年)からは103系が配置されるようになった。103系導入後も72系アコモ改良車は残存していたが、1985年(昭和60年)までに全て撤退した。1989年(平成元年)からは103系の更新車の配置が始まり、仙石線で運用されていた未更新車は1995年(平成7年)までに全て廃車となった。その後、103系更新車も老朽化が進んだため、2002年(平成14年)から2004年(平成16年)にかけて205系3100番台が18編成導入され、103系は全て置き換えられた。しかし、103系のうち最後まで運用に残った仙センRT-235編成だけは廃車にならず、半自動ドアボタン設置やトイレ設置など205系のサービス水準に合わせた改造を施して2006年(平成18年)から運用に復帰した。これは、多賀城駅付近の高架化工事の影響により一時的に運用数が増加するための一時的な措置であり、工事が終われば運用数は戻るため、205系の追加配備ではなく103系の廃車見送りで対応されたものである。しかし、やはり老朽化が進んでいることは否めず朝ラッシュ時間帯だけの限定運用を組んで対応されたものの、結局南武線から205系が1編成転属することになり、2009年(平成21年)限りで103系は本当の引退となった。これにより205系は19編成体制になった。

2011年(平成23年)の東日本大震災では仙石線も被災し、津波に流された仙センM9編成は震災翌日付で事故廃車となり、現地解体された。石巻駅構内で冠水した仙センM7編成も復旧のためJ-TREC横浜事業所へ入場したものの、結局修理されないまま2014年(平成26年)に除籍された。また、路線自体が被災して一部区間の不通が続いたことで、検査時期を迎えた車両を郡山総合車両センターまで輸送することが困難になるという深刻な問題も発生した。当初は検査対象の車両を陸送して対応していたものの、コスト面などで陸送による入場もあまり効率がよいものではなかったことから、途中からは所属している仙台車両センター宮城野派出所で検査を実施するようになった。2015年(平成27年)5月30日に仙石線は全線で運転が再開されたが、多賀城駅付近の高架化工事が既に終わっていることと、同日から仙石東北ラインの運行が開始されて小牛田運輸区所属のHB-E210系気動車が運用されるようになったことで震災前より205系の所要数が減少していたため、廃車となった2編成分の補充は行われず、17編成体制のままになっている。

編成記事一覧

205系
編成 改造年/改造所 撤退年 備考
北センM1編成 2002/土崎工    
北センM2編成 2002/郡山工   2WAYシート
北センM3編成 2002/郡山工   2WAYシート
北センM4編成 2002/郡山工   2WAYシート
北センM5編成 2002/土崎工   2WAYシート
北センM6編成 2002/郡山工    
北センM8編成 2003/郡山工   2WAYシート
北センM10編成 2003/郡山工    
北センM11編成 2003/土崎工    
北センM12編成 2003/郡山工   霜取りパンタ装備
北センM13編成 2003/土崎工    
北センM14編成 2003/郡山工   霜取りパンタ装備
北センM15編成 2003/土崎工    
北センM16編成 2004/郡山工   霜取りパンタ装備
北センM17編成 2004/土崎工    
北センM18編成 2004/郡山総車セ   霜取りパンタ装備
北センM19編成 2009/郡山総車セ   霜取りパンタ装備
東日本大震災被災車
仙センM7編成 2003/土崎工 2014  
仙センM9編成 2003/土崎工 2011  

編集履歴(記事ID:0028)

  • 2023年5月14日:東北本部発足(2022年10月1日付)を反映
  • 2020年2月19日:資料室掲載記事リニューアル作業実施