【この編成は消滅しています】青梅・五日市線向け201系0番台6両編成の八トタ青69編成
編成番号変遷
- 東ミツ20編成(1987年4月1日~1993年)
- 東ミツ17編成(1993年~1998年3月31日)
- 八ミツ17編成(1998年4月1日~2000年12月1日)
- 八ミツ11編成(2000年12月2日~2001年5月31日)
- 八トタ青78編成(2001年5月31日~2001年11月30日)
- 八トタ青69編成(2001年12月1日~2007年11月9日)
2007年11月9日時点の編成
1号車 | クハ201-150 | 1985年1月22日新製(近車) |
2号車 | モハ201-291 | 1985年1月22日新製(近車) |
3号車 | モハ200-291 | 1985年1月22日新製(近車) |
4号車 | モハ201-292 | 1985年1月22日新製(近車) |
5号車 | モハ200-292 | 1985年1月22日新製(近車) |
6号車 | クハ200-150 | 1985年1月22日新製(近車) |
編成の情報
西カノ20編成は、中野電車区に配置されていた中央・総武緩行線向けの101系電車の置き換え用として1982年から1985年にかけて同電車区に配属された、22編成の201系のうちの1本である。通称「軽装車」と呼ばれる、コストダウンのための仕様変更が行われた車両である。中央・総武緩行線では分割運用はないものの、中野電車区の検修設備の都合から4両+6両分割編成として導入されることになり、クハ201-150以下4連とクハ201-151以下6連を連結して10両編成を組成した。1986年3月3日ダイヤ改正で中野電車区が車両無配置化されたことに伴い、三鷹電車区に転属した。2001年に、E231系0番台の八ミツ25編成が導入されたことで置き換えられて、青梅線に転属した。転属に当たっては、基本編成から付属編成にモハ2両を組み替えて6両+4両の組成に変更した上で、4両編成になった旧基本編成側は八トタ青9編成(2001年12月1日以降)となった。2007年に、E233系0番台の導入に伴って置き換えられ、廃車となった。
編成の記録
- 【新製】1985年(昭和60年)1月22日:入籍。新製配置は中野電車区。
- 【転属】1986年(昭和61年)3月3日:中野電車区の車両無配置化に伴い三鷹電車区に転属した。
- 【民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
- 【改造】2001年(平成13年)5月31日:転用改造工事竣工(大井工場)。10両全てが豊田電車区に配属されるが、クハ201-151以下4連については八トタ青9編成(2001年12月1日以降)として編成を分割した。
- 【配給】2007年(平成19年)11月7日~8日:豊田駅→北長野駅
- 【廃車】2007年(平成19年)11月9日:除籍。
過去の編成表
中央・総武線時代(八ミツ11編成)
1号車 | クハ201-150 | 1985年1月22日新製(近車) |
2号車 | モハ201-291 | 1985年1月22日新製(近車) |
3号車 | モハ200-291 | 1985年1月22日新製(近車) |
4号車 | クハ200-150 | 1985年1月22日新製(近車) |
5号車 | クハ201-151 | 1985年1月22日新製(近車) |
6号車 | モハ201-292 | 1985年1月22日新製(近車) |
7号車 | モハ200-292 | 1985年1月22日新製(近車) |
8号車 | モハ201-293 | 1985年1月22日新製(近車) |
9号車 | モハ200-293 | 1985年1月22日新製(近車) |
10号車 | クハ200-151 | 1985年1月22日新製(近車) |
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- 2020年3月13日:資料室掲載記事リニューアル作業実施