【この編成は消滅しています】京葉線向け205系0番台110km/h運転非対応編成の千ケヨ22編成
編成番号変遷
- 東ヤテ11編成(1987年4月1日~2002年7月30日)
- 千ケヨ22編成(2002年7月30日~2011年1月25日)
2011年1月25日時点の編成
10号車 | クハ205-11 | 1985年8月27日新製(日立) |
9号車 | モハ205-31 | 1985年8月27日新製(日立) |
8号車 | モハ204-31 | 1985年8月27日新製(日立) |
7号車 | サハ205-21 | 1985年8月27日新製(日立) |
6号車 | モハ205-32 | 1985年8月27日新製(日立) |
5号車 | モハ204-32 | 1985年8月27日新製(日立) |
4号車 | サハ205-22 | 1985年8月27日新製(日立) |
3号車 | モハ205-33 | 1985年8月27日新製(日立) |
2号車 | モハ204-33 | 1985年8月27日新製(日立) |
1号車 | クハ204-11 | 1985年8月27日新製(日立) |
編成の情報
南シナ11編成は、1985年9月30日に埼京線が開業することに合わせて、品川電車区所属の103系を同線へ転用するため山手線に導入された16編成のうちの1本である。1991年に6扉車を10号車に組み込んで11両編成化が行われた。2002年に、E231系500番台の東ヤテ501編成に置き換えられて山手線から撤退した。E231系導入に伴う最初の離脱編成である。山手線からの撤退後は6扉車を除いた10両編成を組成して京葉線に転用された。E233系5000番台の導入に伴って2011年に廃車となったが、10・3~1号車は富士急行に譲渡された。
編成の記録
- 【新製】1985年(昭和60年)8月27日:入籍。新製配置は品川電車区。
- 【所属変更】1985年(昭和60年)11月1日:品川電車区の改組に伴い山手電車区所属になる。
- 【民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
- 【新製】1991年(平成3年)10月31日:サハ204-11が入籍。11両編成を組成。
- 【転出】2002年(平成14年)6月6日:サハ204-11が川越電車区に転属。宮ハエ8編成の3号車に組み込まれた。
- 【改造】2002年(平成14年)7月30日:転用改造工事竣工(大井工場)。10両編成で京葉電車区に配属される。
- 【所属変更】2004年(平成16年)4月1日:京葉電車区の改組に伴い京葉車両センター所属になる。
- 【配給】2011年(平成23年)1月24日:新習志野駅→北長野駅
- 【廃車】2011年(平成23年)1月25日:除籍。
関連記事
過去の編成表
山手線時代(東ヤテ11編成)
11号車 | クハ205-11 | 1985年8月27日新製(日立) |
10号車 | サハ204-11 | 1991年10月31日新製(近車) |
9号車 | モハ205-31 | 1985年8月27日新製(日立) |
8号車 | モハ204-31 | 1985年8月27日新製(日立) |
7号車 | サハ205-21 | 1985年8月27日新製(日立) |
6号車 | モハ205-32 | 1985年8月27日新製(日立) |
5号車 | モハ204-32 | 1985年8月27日新製(日立) |
4号車 | サハ205-22 | 1985年8月27日新製(日立) |
3号車 | モハ205-33 | 1985年8月27日新製(日立) |
2号車 | モハ204-33 | 1985年8月27日新製(日立) |
1号車 | クハ204-11 | 1985年8月27日新製(日立) |
編集履歴(記事ID:0216)
- 2020年1月15日:資料室掲載記事リニューアル作業実施