【この編成は消滅しています】青梅・五日市線向け201系0番台6両編成の八トタ青66編成
編成番号変遷
- 東ミツ17編成(1987年4月1日~1993年)
- 東ミツ14編成(1993年~1998年3月31日)
- 八ミツ14編成(1998年4月1日~2000年12月1日)
- 八ミツ17編成(2000年12月2日~2001年3月29日)
- 八トタ青77編成(2001年3月29日~2001年11月30日)
- 八トタ青66編成(2001年12月1日~2007年12月7日)
2007年12月7日時点の編成
1号車 | クハ201-144 | 1984年12月4日新製(川重) |
2号車 | モハ201-282 | 1984年12月4日新製(川重) |
3号車 | モハ200-282 | 1984年12月4日新製(川重) |
4号車 | モハ201-283 | 1984年12月4日新製(川重) |
5号車 | モハ200-283 | 1984年12月4日新製(川重) |
6号車 | クハ200-144 | 1984年12月4日新製(川重) |
編成の情報
西カノ17編成は、中野電車区に配置されていた中央・総武緩行線向けの101系電車の置き換え用として1982年から1985年にかけて同電車区に配属された、22編成の201系のうちの1本である。通称「軽装車」と呼ばれる、コストダウンのための仕様変更が行われた車両である。中央・総武緩行線では分割運用はないものの、中野電車区の検修設備の都合から4両+6両分割編成として導入されることになり、クハ201-144以下4連とクハ201-145以下6連を連結して10両編成を組成した。1986年3月3日ダイヤ改正で中野電車区が車両無配置化されたことに伴い、三鷹電車区に転属した。2000年12月2日ダイヤ改正では、E231系本格配備に際して編成番号の重複を避けるため(そのままでは20~23が重複する可能性があった)、この時点で運用から離脱していた編成の分を埋める形で番号の繰り上げを実施することになっていたが、この時になぜか当編成の分まで埋められてしまったため、これ以降は空き番号となったミツ17(奇しくも新製時と同じ番号になった)として運用された。2001年に、E231系0番台の八ミツ22編成が導入されたことで置き換えられて、青梅線に転属した。転属に当たっては、基本編成から付属編成にモハ2両を組み替えて6両+4両の組成に変更した上で、4両編成になった旧基本編成側は八トタ青6編成(2001年12月1日以降)となった。2007年に、E233系0番台の導入に伴って置き換えられ、廃車となった。
編成の記録
- 【新製】1984年(昭和59年)12月4日:入籍。新製配置は中野電車区。
- 【転属】1986年(昭和61年)3月3日:中野電車区の車両無配置化に伴い三鷹電車区に転属した。
- 【民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
- 【改造】2001年(平成13年)3月29日:転用改造工事竣工(大井工場)。10両全てが豊田電車区に配属されるが、クハ201-145以下4連については八トタ青6編成(2001年12月1日以降)として編成を分割した。
- 【所属変更】2007年(平成19年)11月25日:豊田電車区の改組に伴い豊田車両センター所属になる。
- 【配給】2007年(平成19年)12月5日~6日:豊田駅→北長野駅
- 【廃車】2007年(平成19年)12月7日:除籍。
過去の編成表
中央・総武線時代(八ミツ17編成)
1号車 | クハ201-144 | 1984年12月4日新製(川重) |
2号車 | モハ201-282 | 1984年12月4日新製(川重) |
3号車 | モハ200-282 | 1984年12月4日新製(川重) |
4号車 | クハ200-144 | 1984年12月4日新製(川重) |
5号車 | クハ201-145 | 1984年12月4日新製(川重) |
6号車 | モハ201-283 | 1984年12月4日新製(川重) |
7号車 | モハ200-283 | 1984年12月4日新製(川重) |
8号車 | モハ201-284 | 1984年12月4日新製(川重) |
9号車 | モハ200-284 | 1984年12月4日新製(川重) |
10号車 | クハ200-145 | 1984年12月4日新製(川重) |
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- 2020年3月9日:資料室掲載記事リニューアル作業実施