【この編成は消滅しています】武蔵野線向け205系5000番台の千ケヨM14編成
編成番号変遷
- 東ヤテ45編成(1988年1月22日~2004年5月31日)
- 東トウ45編成(2004年6月1日~2004年8月5日)
- 千ケヨE21編成(2004年8月5日~2004年10月15日)
- 千ケヨM14編成(2004年10月16日~2019年4月26日)
2019年4月26日時点の編成
1号車 | クハ205-45 | 1988年1月22日新製(日立) |
2号車 | モハ205-5027 | 1988年1月22日新製(日立) |
3号車 | モハ204-5027 | 1988年1月22日新製(日立) |
4号車 | サハ205-89 | 1988年1月22日新製(日立) |
5号車 | サハ205-90 | 1988年1月22日新製(日立) |
6号車 | モハ205-5028 | 1988年1月22日新製(日立) |
7号車 | モハ204-5028 | 1988年1月22日新製(日立) |
8号車 | クハ204-45 | 1988年1月22日新製(日立) |
編成の情報
東ヤテ45編成は、JR東日本が旧国鉄から継承した山手線向けの103系電車を置き換えるために導入した20編成のうちの1本である。1991年に6扉車を10号車に組み込んで11両編成化が行われた。2004年に、E231系500番台の東ヤテ532編成に置き換えられて山手線から撤退し、8両編成に短縮して武蔵野線に転用された。この編成の転属に伴い、千ケヨE21編成が置き換えられた。209系500番台の千ケヨM76編成に置き換えられる形で2019年に廃車となったが、インドネシアのPT.Kereta Commuter INDONESIAに譲渡された。
編成の記録
- 【新製】1988年(昭和62年)1月22日:入籍。新製配置は山手電車区。
- 【新製】1991年(平成3年)12月4日:サハ204-45が入籍。11両編成を組成。
- 【所属変更】2004年(平成16年)6月1日:山手電車区の改組に伴い東京総合車両センター所属になる。
- 【転出】2004年(平成16年)7月15日:サハ204-45が川越車両センターに転属。宮ハエ22編成の2号車に組み込まれた。
- 【改造】2004年(平成16年)7月27日:転用改造工事竣工(東京総合車両センター)。8両編成で京葉車両センターに配置される。
- 【転出】2004年(平成16年)8月27日:山手線時代に組み込まれていたモハ205-134・モハ204-134(→クモハ204-1102)が中原電車区に転属。横ナハT12編成の2・1号車に組み込まれた。
- 【配給】2019年(平成31年)4月26日:新習志野駅→新津駅
- 【廃車】2019年(平成31年)4月26日:除籍。
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過去の編成表
山手線時代(東ヤテ45編成)
11号車 | クハ205-45 | 1988年1月22日新製(日立) |
10号車 | サハ204-45 | 1991年12月4日新製(近車) |
9号車 | モハ205-133 | 1988年1月22日新製(日立) |
8号車 | モハ204-133 | 1988年1月22日新製(日立) |
7号車 | サハ205-89 | 1988年1月22日新製(日立) |
6号車 | モハ205-134 | 1988年1月22日新製(日立) |
5号車 | モハ204-134 | 1988年1月22日新製(日立) |
4号車 | サハ205-90 | 1988年1月22日新製(日立) |
3号車 | モハ205-135 | 1988年1月22日新製(日立) |
2号車 | モハ204-135 | 1988年1月22日新製(日立) |
1号車 | クハ204-45 | 1988年1月22日新製(日立) |
編集履歴(記事ID:0294)
- 2020年2月17日:資料室掲載記事リニューアル作業実施