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クハ205-47(千ケヨM6編成)【編成消滅】

【この編成は消滅しています】武蔵野線向け205系5000番台の千ケヨM6編成

編成番号変遷

  • 東ヤテ47編成(1988年2月18日~2003年12月13日)
  • 八トタE8編成(2003年12月13日~2004年3月12日)
  • 千ケヨE8編成(2004年3月13日~2004年10月15日)
  • 千ケヨM6編成(2004年10月16日~2020年8月26日)

2020年8月26日時点の編成

1号車 クハ205-47 1988年2月18日新製(日立)
2号車 モハ205-5011 1988年2月18日新製(日立)
3号車 モハ204-5011 1988年2月18日新製(日立)
4号車 サハ205-93 1988年2月18日新製(日立)
5号車 サハ205-94 1988年2月18日新製(日立)
6号車 モハ205-5012 1988年2月18日新製(日立)
7号車 モハ204-5012 1988年2月18日新製(日立)
8号車 クハ204-47 1988年2月18日新製(日立)

編成の情報

東ヤテ47編成は、JR東日本が旧国鉄から継承した山手線向けの103系電車を置き換えるために導入した20編成のうちの1本である。1991年に6扉車を10号車に組み込んで11両編成化が行われた。2003年に、E231系500番台東ヤテ524編成に置き換えられて山手線から撤退し、8両編成に短縮して武蔵野線に転用された。この編成の転属に伴い、八トタE8編成が置き換えられた。E231系0番台の千ケヨMU43編成に置き換えられる形で2020年に廃車となったが、インドネシアのPT.Kereta Commuter INDONESIAに譲渡された。

編成の記録

  • 新製】1988年(昭和62年)2月18日:入籍。新製配置は山手電車区
  • 新製】1991年(平成3年)12月5日:サハ204-47が入籍。11両編成を組成。
  • 組換】1993年(平成5年)XX月XX日:サハ204-47を東ヤテ59編成のサハ204-901と交換した。
  • 転出】2003年(平成15年)12月5日:サハ204-901が川越電車区に転属。宮ハエ18編成の2号車に組み込まれた。
  • 改造】2003年(平成15年)12月13日:転用改造工事竣工(大井工場)。8両編成で豊田電車区に配置される。
  • 転出】2004年(平成16年)2月6日:山手線時代に組み込まれていたモハ205/204-140(→5016)が豊田電車区に転属。八トタE32編成の6・7号車に組み込まれた。
  • 転属】2004年(平成16年)3月13日:武蔵野線車両の所属変更に伴い、豊田電車区から京葉電車区に転属した。
  • 所属変更】2004年(平成16年)4月1日:京葉電車区の改組に伴い京葉車両センター所属になる。
  • 配給】2020年(令和2年)8月26日:新習志野駅蘇我駅
  • 廃車】2020年(令和2年)8月26日:除籍。

関連記事

過去の編成表

山手線時代(東ヤテ47編成)
11号車 クハ205-47 1988年2月18日新製(日立)
10号車 サハ204-901 1990年3月2日新製(近車)
9号車 モハ205-139 1988年2月18日新製(日立)
8号車 モハ204-139 1988年2月18日新製(日立)
7号車 サハ205-93 1988年2月18日新製(日立)
6号車 モハ205-140 1988年2月18日新製(日立)
5号車 モハ204-140 1988年2月18日新製(日立)
4号車 サハ205-94 1988年2月18日新製(日立)
3号車 モハ205-141 1988年2月18日新製(日立)
2号車 モハ204-141 1988年2月18日新製(日立)
1号車 クハ204-47 1988年2月18日新製(日立)

編集履歴(記事ID:0296)

  • 2020年8月26日:廃車と本館「H0436」投稿を反映
  • 2020年2月17日:資料室掲載記事リニューアル作業実施

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