新東京周辺鉄道車両速報ブログ資料室

2020年4月22日正式オープン!

クハ201-12(八トタT104編成【中間】)【編成消滅】

【この編成は消滅しています】中央線快速電車向け201系0番台元分割編成の八トタT104編成【中間】

編成番号変遷

  • 東トタE2編成(1987年4月1日~1988年頃)
  • 東トタE35編成(1988年頃~1991年頃)
  • 東トタE51編成(1991年頃~1996年10月30日)
  • 東ミツ20編成【中間】(1996年10月30日~1997年9月27日)
  • 東ムコH4編成【中間】(1997年9月27日~1998年3月31日)
  • 八ムコH4編成【中間】(1998年4月1日~2004年3月12日)
  • 八トタH4編成【中間】(2004年3月13日~2007年3月)
  • 八トタT104編成【中間】(2007年3月~2007年5月11日)

2007年5月11日時点の編成

クハ201-11(八トタT104編成)【編成消滅】を参照

編成の情報

この編成は、中央線快速電車向けの4両+6両分割編成として、1981年に三鷹電車区に配置された8編成の201系のうちの1本である。クハ201-12以下4連が付属編成、クハ201-13以下6連が基本編成である。1982年以降は三鷹電車区所属の201系を10両貫通編成化することになったため、クハ201-57以下10連の落成を待って武蔵小金井電車区に転属した。1986年3月3日ダイヤ改正では中央線系統で大幅な運用見直しがあり、これで捻出された10両編成2本(10両貫通編成1本、4両+6両分割編成1本)を組み替えて6両編成3本を組成し、青梅・五日市・武蔵野線向けに転用することになった。そして、この編成がその組み換え対象に選ばれたため、ダイヤ改正当日に武蔵小金井電車区から豊田電車区へ転属した。6両編成化に当たっては、基本編成のクハ201-13以下6連は6両編成であることから単独で運用されることになったが、付属編成であるこの編成は4両編成であったことから、10両貫通編成だったクハ201-11以下10連の6両編成化時に余剰となったモハ201/200-18を組み込んで6両編成化が実施された。その後10年間青梅線五日市線武蔵野線で運用されたが、1996年12月1日ダイヤ改正武蔵野線の完全8両編成化が実施されること、三鷹電車区で車両不足が発生する(同電車区所属の205系10両編成1本が川越電車区へ転属することになった)ことから、浦和電車区への209系新製配置に伴って捻出された103系を原資とした玉突き転配が実施され、当時豊田電車区所属で青梅・五日市・武蔵野線用として運用されていた、この編成を含む6両編成2本を組み替えて、4両+6両分割編成を組成のうえで三鷹電車区に配置されることになった。これに伴い、この編成はクハ201-11以下4連と連結し、新・東ミツ20編成の基本編成になった。基本編成は6両編成のままであるが、付属編成化されたクハ201-11側で4両編成に短縮する際に余剰となったモハ201/200-17を組み込むことになり、押し出される形でモハ201/200-19は豊田電車区のバラ予備車だったクハ201/200-134とともに東ムコH21編成(付属)を組成した。これ以降のクハ201-12以下6連の動向については、クハ201-11の編成記事を参照。

編成の記録

過去の編成表

青梅・五日市・武蔵野線時代
1号車 クハ201-12 1981年9月22日新製(日車)
2号車 モハ201-18 1981年10月29日新製(東急)
3号車 モハ200-18 1981年10月29日新製(東急)
4号車 モハ201-19 1981年9月22日新製(日車)
5号車 モハ200-19 1981年9月22日新製(日車)
6号車 クハ200-12 1981年9月22日新製(日車)
新製当初
1号車 クハ201-12 1981年9月22日新製(日車)
2号車 モハ201-19 1981年9月22日新製(日車)
3号車 モハ200-19 1981年9月22日新製(日車)
4号車 クハ200-12 1981年9月22日新製(日車)
5号車 クハ201-13 1981年9月22日新製(日車)
6号車 モハ201-20 1981年9月22日新製(日車)
7号車 モハ200-20 1981年9月22日新製(日車)
8号車 モハ201-21 1981年9月22日新製(日車)
9号車 モハ200-21 1981年9月22日新製(日車)
10号車 クハ200-13 1981年9月22日新製(日車)

編集履歴(記事ID:0061)

  • 2020年4月3日:資料室掲載記事リニューアル作業実施

リンク