【この編成は消滅しています】埼京・川越線向け205系0番台6扉車非組込編成の宮ハエ30編成
編成番号変遷
- 東ヤテ42編成(1987年12月22日~1996年2月5日)
- 東ハエ29編成(1996年2月5日~1996年11月30日)
- 東ハエ30編成(1996年12月1日~2001年3月31日)
- 宮ハエ30編成(2001年4月1日~2014年1月30日)
2013年1月1日時点の編成
10号車 | クハ205-42 | 1987年12月22日新製(日立) |
9号車 | モハ205-124 | 1987年12月22日新製(日立) |
8号車 | モハ204-124 | 1987年12月22日新製(日立) |
7号車 | サハ205-83 | 1987年12月22日新製(日立) |
6号車 | モハ205-125 | 1987年12月22日新製(日立) |
5号車 | モハ204-125 | 1987年12月22日新製(日立) |
4号車 | サハ205-84 | 1987年12月22日新製(日立) |
3号車 | モハ205-126 | 1987年12月22日新製(日立) |
2号車 | モハ204-126 | 1987年12月22日新製(日立) |
1号車 | クハ204-42 | 1987年12月22日新製(日立) |
編成の情報
東ヤテ42編成は、JR東日本が旧国鉄から継承した山手線向けの103系電車を置き換えるために導入した20編成のうちの1本である。1990年に山手線の混雑緩和の切り札として6扉試作車のサハ204-901・902が落成した時は、この編成の付随車と入れ替えた上で、連結位置を何度か入れ替えながら営業運転で試験が実施された。1991年に6扉車の量産車が落成して11両編成化される際には、10号車にはサハ204-42が組み込まれ、試作車2両は別の編成に組み込まれた。その後、1996年3月16日ダイヤ改正で埼京線が恵比寿駅まで延伸することに伴い、山手線の予備車を削減する形で埼京線に転用された。埼京線転用に当たってはサハ204-42を外して10両編成に短縮した。E233系7000番台に置き換えられる形で2014年に廃車となったが、インドネシアのPT.KAI Commuter JABODETABEKに譲渡された。
編成の記録
- 【新製】1987年(昭和62年)12月22日:入籍。新製配置は山手電車区。
- 【新製】1990年(平成2年)3月2日:サハ204-901・902が入籍。サハ205-83・84は保留車になる。
- 【組換】1991年(平成3年)11月XX日:サハ205-84を組み込んでサハ204-902が編成から外された。サハ204-902は東ヤテ60編成に組み込まれた。
- 【組換】1991年(平成3年)12月XX日:サハ205-83を組み込んで11両編成化実施。
- 【組換】1991年(平成3年)12月XX日:サハ204-901を東ヤテ59編成のサハ204-42と交換した。
- 【改造】1996年(平成8年)2月5日:転用改造工事竣工。サハ204-42を除く10両編成で川越電車区に転属した。
- 【組換】1996年(平成8年)10月XX日:山手線時代に組み込まれていたサハ204-42が、東ヤテ49編成の10号車に組み込まれた。
- 【所属変更】2004年(平成16年)6月1日:川越電車区の改組に伴い川越車両センター所属になる。
- 【配給】2014年(平成26年)1月30日:高崎駅→新津駅
- 【廃車】2014年(平成26年)1月30日:除籍。
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過去の編成表
山手線時代(東ヤテ42編成)
11号車 | クハ205-42 | 1987年12月22日新製(日立) |
10号車 | サハ204-42 | 1991年11月29日新製(近車) |
9号車 | モハ205-124 | 1987年12月22日新製(日立) |
8号車 | モハ204-124 | 1987年12月22日新製(日立) |
7号車 | サハ205-83 | 1987年12月22日新製(日立) |
6号車 | モハ205-125 | 1987年12月22日新製(日立) |
5号車 | モハ204-125 | 1987年12月22日新製(日立) |
4号車 | サハ205-84 | 1987年12月22日新製(日立) |
3号車 | モハ205-126 | 1987年12月22日新製(日立) |
2号車 | モハ204-126 | 1987年12月22日新製(日立) |
1号車 | クハ204-42 | 1987年12月22日新製(日立) |
編集履歴(記事ID:0291)
- 2020年1月17日:資料室掲載記事リニューアル作業実施