【この編成は消滅しています】京葉線向け201系0番台非分割編成の千ケヨ71編成【中間】
編成番号変遷
- 東ムコH34編成(1987年4月1日~1988年4月20日)
- 東ミツ4編成【中間】(1988年4月20日~1993年)
- 東ミツ1編成【中間】(1993年~1998年3月31日)
- 八ミツ1編成【中間】(1998年4月1日~2001年8月4日)
- 千ケヨ71編成【中間】(2001年8月4日~2009年1月22日)
2009年1月22日時点の編成
編成の情報
この編成は、三鷹電車区に所属していた201系を、4両+6両分割編成から10両貫通編成に入れ替えるため1982年から1983年にかけて三鷹電車区に配置された、8編成の201系のうちの1本である。この編成の落成に伴い、クハ201-9以下4連+クハ201-10以下6連が置き換えられた。1986年3月3日ダイヤ改正で三鷹電車区は中央緩行線の車両基地に変更されたため、武蔵小金井電車区に転属した。1988年に、ATS工事に関連してクハ201/200-23はクハ201/200-8と差し替えられる形で三鷹電車区に転属し、東ミツ4編成の基本編成になった。これ以降の動向については、クハ201-7の編成記事を参照。
編成の記録
- 【新製】1982年(昭和57年)3月24日:入籍。新製配置は三鷹電車区。
- 【転属】1986年(昭和61年)3月3日:武蔵小金井電車区に転属した。
- 【民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
- 【転出】1988年(昭和63年)4月20日:クハ201/200-23が東ミツ4編成の5・10号車に組み込まれた。
- 【転出】1988年(昭和63年)4月21日:全ての中間車がクハ201-8以下10連の2~9号車に組み込まれた。
過去の編成表
新製当初
1号車 | クハ201-23 | 1982年3月24日新製(東急) |
2号車 | モハ201-43 | 1982年3月24日新製(東急) |
3号車 | モハ200-43 | 1982年3月24日新製(東急) |
4号車 | サハ201-13 | 1982年3月24日新製(東急) |
5号車 | モハ201-44 | 1982年3月24日新製(東急) |
6号車 | モハ200-44 | 1982年3月24日新製(東急) |
7号車 | サハ201-14 | 1982年3月24日新製(東急) |
8号車 | モハ201-45 | 1982年3月24日新製(東急) |
9号車 | モハ200-45 | 1982年3月24日新製(東急) |
10号車 | クハ200-23 | 1982年3月24日新製(東急) |
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- 2020年4月8日:資料室掲載記事リニューアル作業実施