【この編成は消滅しています】武蔵野線向け205系5000番台の千ケヨM30編成
編成番号変遷
- 東ヤテ53編成(1988年3月22日~2004年5月31日)
- 東トウ53編成(2004年6月1日~2005年3月26日)
- 千ケヨM30編成(2005年3月26日~2019年7月26日)
2019年7月26日時点の編成
1号車 | クハ205-53 | 1988年3月22日新製(東急) |
2号車 | モハ205-5059 | 1988年3月22日新製(東急) |
3号車 | モハ204-5059 | 1988年3月22日新製(東急) |
4号車 | サハ205-105 | 1988年3月22日新製(東急) |
5号車 | サハ205-106 | 1988年3月22日新製(東急) |
6号車 | モハ205-5060 | 1988年3月22日新製(東急) |
7号車 | モハ204-5060 | 1988年3月22日新製(東急) |
8号車 | クハ204-53 | 1988年3月22日新製(東急) |
編成の情報
東ヤテ53編成は、JR東日本が旧国鉄から継承した山手線向けの103系電車を置き換えるために導入した20編成のうちの1本である。1991年に6扉車を10号車に組み込んで11両編成化が行われた。2004年に、E231系500番台の東トウ546編成に置き換えられて山手線から撤退し、8両編成に短縮して武蔵野線に転用された。モハ204-5060は種車がMG(電動発電機)非搭載車であったため、補助電源装置としてSIV(静止型インバータ)を搭載している。この編成の転属に伴い、千ケヨE7編成が置き換えられた。E231系0番台の千ケヨMU35編成に置き換えられる形で2019年に廃車となったが、インドネシアのPT.Kereta Commuter INDONESIAに譲渡された。
編成の記録
- 【新製】1988年(昭和62年)3月22日:入籍。新製配置は山手電車区。
- 【新製】1991年(平成3年)11月27日:サハ204-36が入籍。11両編成を組成。
- 【所属変更】2004年(平成16年)6月1日:山手電車区の改組に伴い東京総合車両センター所属になる。
- 【改造】2005年(平成17年)3月26日:転用改造工事竣工(大宮総合車両センター)。8両編成で京葉車両センターに配置される。
- 【転出】2005年(平成17年)5月13日:山手線時代に組み込まれていたサハ204-36が川越車両センターに転属。宮ハエ6編成の2号車に組み込まれた。
- 【転出】2005年(平成17年)8月30日:山手線時代に組み込まれていたモハ205/204-159(→5063)が京葉車両センターに転属。千ケヨM32編成の2・3号車に組み込まれた。
- 【配給】2019年(令和元年)7月26日:新習志野駅→新津駅
- 【廃車】2019年(令和元年)7月26日:除籍。
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過去の編成表
山手線時代(東ヤテ53編成)
11号車 | クハ205-53 | 1988年3月22日新製(東急) |
10号車 | サハ204-36 | 1991年11月27日新製(近車) |
9号車 | モハ205-157 | 1988年3月22日新製(東急) |
8号車 | モハ204-157 | 1988年3月22日新製(東急) |
7号車 | サハ205-105 | 1988年3月22日新製(東急) |
6号車 | モハ205-158 | 1988年3月22日新製(東急) |
5号車 | モハ204-158 | 1988年3月22日新製(東急) |
4号車 | サハ205-106 | 1988年3月22日新製(東急) |
3号車 | モハ205-159 | 1988年3月22日新製(東急) |
2号車 | モハ204-159 | 1988年3月22日新製(東急) |
1号車 | クハ204-53 | 1988年3月22日新製(東急) |
編集履歴(記事ID:0302)
- 2020年2月17日:資料室掲載記事リニューアル作業実施