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クハ205-29(千ケヨM15編成)【編成消滅】

【この編成は消滅しています】武蔵野線向け205系5000番台の千ケヨM15編成

編成番号変遷

  • 東ヤテ29編成(1987年4月1日~2003年7月24日)
  • 横ナハ45編成(2003年7月24日~2005年6月30日)
  • 千ケヨM15編成(2005年6月30日~2018年3月9日)

2018年3月9日時点の編成

1号車 クハ205-29 1986年2月3日新製(東急)
2号車 モハ205-5029 1986年2月3日新製(東急)
3号車 モハ204-5029 1986年2月3日新製(東急)
4号車 サハ205-208 1990年6月14日新製(川重)
5号車 サハ205-153 1989年6月26日新製(川重)
6号車 モハ205-5030 1986年2月3日新製(東急)
7号車 モハ204-5030 1986年2月3日新製(東急)
8号車 クハ204-29 1986年2月3日新製(東急)

編成の情報

南ヤテ29編成は、1986年3月3日に京葉線西船橋駅-千葉港駅(現・千葉みなと駅)の旅客開業に伴い103系を同線へ転用するため山手線に導入された7編成のうちの1本である。1991年に6扉車を10号車に組み込んで11両編成化が行われた。2003年に、E231系500番台東ヤテ515編成に置き換えられて山手線から撤退し、6両編成に短縮の上で南武線に転用された。南武線では103系0番台の横ナハ26編成を置き換えた。

ところが、2004年10月16日のダイヤ改正で、埼京・川越線のJR持ち運用が増加することになり、205系電車10両編成1本を急遽、追加で配置する必要があり、武蔵野線へ配置されるはずであった元東トウ54編成のうち10両(但し東京所属時代は営業運転で使用されず)が2004年6月9日付で川越車両センターに配置されたため、武蔵野線で必要な205系電車が10両不足することになった。このダイヤ改正では、東京臨海高速鉄道から70-000形電車6両が、6両編成から10両編成へ組み換えられる過程で余剰となることから、JR東日本が余剰車を購入して2004年12月16日付で209系3100番台編入し、新造車2両と合わせて4両編成2本を組成して八高・川越線(川越車両センター)に配置した。これにより、同線に205系3000番台として配置されるはずだった8両(サハ4両・モハ4両)を武蔵野線向けに変更し、元東トウ54編成のうち8両で組成されるはずだった千ケヨM15編成として京葉車両センターに配置することになり、なお不足するモハ2両については、転用先の無いサハから2両を武蔵野線へ転用し、5000番台化せずに0番台のまま運用されるはずだった千ケヨM61編成のモハを5000番台へ改造することで必要数を確保することになった。

しかし、この計画では、ほぼすべての編成が製造当初から先頭車だった車両を組み込む中で、1編成だけ取り扱いが異なる先頭車化改造車の配置となってしまうため、現場の混乱を避けるため、製造当初から先頭車だった車両と先頭車化改造車が混在する南武線(中原電車区)に6両編成として配置し、南武線に配置されていた、製造当初から先頭車だった車両を含む6両を武蔵野線へ転用することになった。改造工期の都合で、宮ハエ86編成になるはずだった車両と宮ハエ87編成になるはずだったモハが南武線向け205系1200番台の横ナハ51編成となり、宮ハエ87編成の先頭車になるはずだったサハは先頭車化改造を取りやめてサハのまま千ケヨM61編成改め千ケヨM35編成に組み込んだため、千ケヨM15編成に組み込まれる車両は、埼京・川越線の余剰サハとなった。この時に、鶴見線南武支線の予備車を共通化する計画が消滅したためクハ205-1110への改造が取りやめとなり、川越車両センター所属の保留車となったサハ205-208(宮ハエ16編成)と、転用先が無かった7両の付随車の中からサハ205-153(宮ハエ4編成)が選ばれてこの編成に組み込まれることになり、改造の出場順としては30番目でありながら、205系5000番台の第15編成となる千ケヨM15編成を2005年6月30日付で組成した。なお、この編成は103系置き換え用ではなく、千ケヨM61編成の置き換え用(改造予備車)の扱いで転入したため、旧法則の編成番号はM61編成の「E1」を継承している(M35編成の旧法則番号は103系から継承した「E11・E15」である)。E231系0番台の千ケヨMU32編成に置き換えられる形で2018年に廃車となったが、インドネシアのPT.Kereta Commuter INDONESIAに譲渡された。

編成の記録

  • 新製】1986年(昭和61年)2月3日:入籍。新製配置は山手電車区
  • 民営化】1987年(昭和62年)4月1日:日本国有鉄道分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承される。
  • 新製】1991年(平成3年)11月21日:サハ204-29が入籍。11両編成を組成。
  • 転出】2003年(平成15年)7月3日:サハ204-29が川越電車区に転属。宮ハエ14編成の2号車に組み込まれた。
  • 改造】2003年(平成15年)7月24日:転用改造工事竣工(大宮工場)。クハ205/204-29、モハ205/204-85・87が中原電車区に配属され、6両編成を組成。
  • 転出】2003年(平成15年)9月12日:山手線時代に組み込まれていたモハ205/204-84(→モハ205/204-3112)が宮城野電車区に転属。仙ミノM12編成の3・2号車に組み込まれた。
  • 転出】2003年(平成15年)11月6日:山手線時代に組み込まれていたサハ205-57・58(→クハ205/204-3114)が仙台電車区に転属。仙センM14編成を組成した。
  • 改造】2005年(平成17年)6月30日:転用改造工事竣工(秋田総合車両センター)。クハ205/204-29、モハ205/204-85・87(→モハ205/204-5029・5030)が京葉車両センターに配属される。サハ205-208・153を組み込んで8両編成を組成。
  • 配給】2018年(平成30年)3月9日:新習志野駅→新津駅
  • 廃車】2018年(平成30年)3月9日:除籍。

関連記事

過去の編成表

南武線時代(横ナハ45編成)
1号車 クハ205-29 1986年2月3日新製(東急)
2号車 モハ205-85 1986年2月3日新製(東急)
3号車 モハ204-85 1986年2月3日新製(東急)
4号車 モハ205-87 1986年2月3日新製(東急)
5号車 モハ204-87 1986年2月3日新製(東急)
6号車 クハ204-29 1986年2月3日新製(東急)
山手線時代(東ヤテ29編成)
11号車 クハ205-29 1986年2月3日新製(東急)
10号車 サハ204-29 1991年11月21日新製(近車)
9号車 モハ205-85 1986年2月3日新製(東急)
8号車 モハ204-85 1986年2月3日新製(東急)
7号車 サハ205-57 1986年2月3日新製(東急)
6号車 モハ205-86 1986年2月3日新製(東急)
5号車 モハ204-86 1986年2月3日新製(東急)
4号車 サハ205-58 1986年2月3日新製(東急)
3号車 モハ205-87 1986年2月3日新製(東急)
2号車 モハ204-87 1986年2月3日新製(東急)
1号車 クハ204-29 1986年2月3日新製(東急)

編集履歴(記事ID:0243)

  • 2020年1月16日:資料室掲載記事リニューアル作業実施

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